東京世田谷の小京都「烏山寺町」巡りpart1
準特急停車駅でもあり、駅前は様々な飲食店、スーパーなどがあり、
大勢の人で賑わう京王線千歳烏山駅ですが、ちょっと奥へ行くと・・・。
26もの寺があり、「烏山寺町」とも呼ばれています。
以前から知ってはいたのですが、一度も行ったことがなく、
昨年の今頃、初めて行ってみました!
この日は午後から周る予定だったため、一度に全部周るのはキツイので、
まずは押さえておいた方がいいポイントを調べました。
ネットで色々調べましたが、なかなかコレ!というのが無かったため、
自分でせっせせっせとまとめてみました。(←楽をするための一瞬の苦労ならOK)
参考にさせてもらったのが、「寺町ドットコム」のサイトの画像で、
とてもわかりやすくまとまっています。
これをプリントアウトして、見たいポイントを書きこんで地図として歩きました。
実際の「寺町ドットコム」を運営されている大久保石材店は、
千歳烏山駅から寺町界隈へ向かう途中にドーンと大きな看板と共に在りました。
こちらで、散歩・散策に便利な 寺院案内図を配布しているそうです。
11ヶ所周ったので、2回に分けてアップします。
part1 ⇒ 目次1~7
part2 ⇒ 目次8~13
=目次= 1. 烏山寺町とは 2. 玄立山「妙髙寺」 3.寺町通り区民集会所 4. 瑞泉山「高源院」 5. 霊照山「専光寺」 6. 本覚山「妙壽寺」 7. 春陽山「永隆寺」 8. 一心山「稱往院」 9. 天護山「妙祐寺」 10. 妙祐山「幸龍寺」 11. 弥勒山「源生寺」 12. 常徳山「玄照寺」 13. 法立山「常福寺」 14. 散策マップ 15. アクセス |
【烏山寺町】
関東大震災後の1923年(大正12年)に浅草、築地、本所、荒川などにあった寺院が
集団で移転してきたのが直接的な契機とされる。
寺院の建築と緑豊かな環境が調和した烏山寺町の一帯は「世田谷の小京都」などと
呼ばれ、1984年(昭和59年)には「せたがや百景」に選定された。
※Wikipediaより抜粋
「寺町通り」と「松葉通り」の両サイドに26の寺院があり、
京王線千歳烏山駅から北上し、中央高速を越えて「寺町通り」へ入ると
1つ1つの寺院は意外に密集して近くにあり、周りやすいです。
緑が多く、つつじや桜などの花もあり、綺麗に手入れされた寺院が多いという印象。
中には、有名著名人が多く眠っている寺院もあります。
普通に、墓苑・墓地案内、募集の幟が立っている所もあったりするので、
ちょっと不思議な感じです(笑)
あらかじめチェックしていたわけではないですが、
中央高速を超える手前、最初にあるお寺がここ「妙髙寺」。
最初ということもあり、覗いてみました。
閑静で、とても綺麗に手入れされていました。
書院は旧有栖川宮邸の書斎を移築したものだそうです。
お薦めポイントでも何でもないですが(笑)
中央高速を超えてすぐ左に曲がった所に「寺町通り区民集会所」があります。
「区民斎場みどり会館」もすぐそばにあり、最初間違えて行ってしまいましたが…( ̄□ ̄;)
事前にネットで調べた時、「寺町散策巡りのマップは区民集会所で無料配布してる」と
あったので、寄ってみましたが、「無い」と言われました。(結局、烏山支所にあるとのこと)
「寺町通り区民集会所」で撮影した「地域案内絵図」
この案内図を見るだけでも楽しいかもしれません。
烏山支所でもらったパンフレットにも同じ画像がありましたが、白黒だったので。
※「烏山寺町ぶらり散策マップ」についてはpart2で
歩いている途中、こんな案内板もありました。
区民集会所を出て、暫く歩いていましたが、
何となく雲行きが怪しくなってきた感じだったので、
まずはお目当ての「高源院」を先に見てから♪南下することに。
雨が降ってくると嫌なので、1番北にある「高源院」へバスで行くことにしました。
「寺院通5番」で下車。(やや戻る感じ)
バスは千歳烏山駅北口から寺町通りを通るバスが出ています。
⇒ part2「アクセス」
ここも綺麗に整備されています。
境内を入って小道を進むとすぐに見えてきたのが・・・。
鴨池とこの赤い「浮御堂」は、「烏山寺町」を紹介する時よく見る写真です。
これを見た時、「烏山寺町」に行ってみたいかも!と思いました。
(思っていながら、なかなか行かなかった)
橋の真ん中に居るのは鳩です(笑) お出迎え?
「鴨池(弁天池)」の中にある赤い欄干の橋を渡って行くと奥には、
弁財天を祀った「浮御堂」があります。
池には鴨もいますが、黒い鯉や亀がたくさん。。。
「かも」ではなく「かめ」、亀池でもいいような。
「高源院」の創建は1703年(元禄16年)で、1893年(明治26年)を境に
無住となり、関東大震災の被害にも遭ったため、復興を図って品川から
1939年(昭和14年)に現在の地に移転してきた。
敷地内にある泉水(弁天池)は「烏山の鴨池」として「せたがや百景」に指定されている
※Wikipediaより抜粋引用
品川から移転した時期は昭和11年、大正15年と記されているものもあり、
どれが本当なのか??? 大正15年と昭和14年ではずいぶん開きがあるけれど…。
いずれにせよ、
「烏山寺町」巡りをするのには「高源院」は絶対外せない場所です。
新緑の季節もいいですが、モミジがたくさんあったので、
紅葉の季節もいいでしょうね♪
ちなみに、西沢つつじ園へ行った時に、寄ってみた入口はこんな感じでした。
入口すぐにつつじが咲いていました。
江戸時代の浮世絵師である「喜多川歌麿の墓がある」というので、寄ってみましたが、
お墓の写真を撮るのもはばかれ…。
正直、喜多川歌麿に興味があったわけでは全くないですけど。
ただ、喜多川歌麿のお墓は「喜多川」ではなく、「北川」となってましたが(-。-)ボソッ
「専光寺」の創建は江戸時代初期の1604年(慶長9年)で、品川にあったが
後に馬喰町に移転し、1657年(明暦3年)に発生した明暦の大火によって
浅草新寺町に再度移転。
1923年(大正12年)の関東大震災によって本堂や庫裏を焼失し、
1927年(昭和2年)に烏山に移転。
江戸時代の浮世絵師である喜多川歌麿の墓があり、「歌麿寺」の通称でも知られる。
歌麿の墓は、1956年(昭和31年)に東京都旧跡の指定を受けた。
※Wikipediaより引用
刑事コロンボの声で有名な小池朝雄氏もここで眠っているようです。
「烏山寺町」に最初に移転した寺院らしいです。
事前に調べた時、「梵鐘があり、客殿が綺麗」と書いてありましたが、
この時、客殿は工事中で足場が組んでありました。。。
「梵鐘」
関東大震災の時に焼けた名工藤原正次作の梵鐘。
裏に回って見ると、穴が開いていて、もう鳴らない梵鐘。
藤原正次の作品は源正寺にも天水桶があります。
つつじ、竹林もあり、寺院というより、広大な庭園という感じです。
ここのつつじは「西沢つつじ園」のと書いてありました。
奥に進むと、階段を上った所に本堂が。
竹林を過ぎた奥にポツンと、大きな(広い)お墓があり、
誰の?と思ったら、川島正次郎元副総裁のでした。(知りませぬ~)
大原麗子もココに眠っているらしい。。
「高源院」同様、西沢つつじ園に行った時に寄ってみたら、
竹林にものすごーーーーく伸びたタケノコがたくさん!
私は「高源院」とココ「妙壽寺」も外せない1つです♪
「妙寿寺」は1631年(寛永8年)「妙感寺」として江戸谷中清水町に開創。
1662年(寛文2年)に武蔵国葛飾郡猿江村に移転し1663年「妙壽寺」と寺号を改める。
1923年(大正12年)関東大震災により消失。世田谷区北烏山に移転。
2008年(平成20年)客殿(旧蓮池藩鍋島家住宅)が世田谷区有形文化財指定。
※公式サイトより引用
ネットでは「妙寿寺」となってる所が多いですが、入口門にしっかり「妙壽寺」と
書いてあったので私はこちらを採用しています。
永隆寺
・慶長17年(1612年)、家康の囲碁の師匠でもあった日義上人が神田に創立。
・寛永年間(1624年 – 1643年)に谷中清水町に移転
・元禄4年(1691年)に本所出村(現在の墨田区太平町)に移転
・関東大震災後の昭和3年(1928年)に現在地へ移転
・神保大黒天の石像は、日義上人が家康公の側室・養珠院殿お万の方より拝領したもの
・人間国宝 落語家 三遊亭圓生の墓がある。
なぜ、私はココ永隆寺をチェックしたかというと、
鎌倉の長谷寺で見た「なごみ地蔵」と同じようなお地蔵様の画像を見たから!
安直な理由ですみません
これは水子供養の地蔵だったようです。。。。
長くなったので、この続きは
東京世田谷の小京都「烏山寺町」巡りpart2へ続きます。
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