東京世田谷の小京都「烏山寺町」巡りpart2

東京世田谷の小京都「烏山寺町」巡りpart2

烏山寺町26ヶ所の内、11ヶ所巡った後半の6ヶ所(目次8~13)です。

前半(目次1~7)はこちら ⇒ 「東京世田谷の小京都「烏山寺町」巡りpart1

 

この日はデジカメのバッテリーを充電し忘れ、最初の数枚でバッテリー切れ。
ほとんどをタブレットで撮影したため、各寺院の詳細な写真を撮れませんでした。
(後日行く機会があったら写真を追加しておきます(笑))

 

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=目次=
  1. 烏山寺町とは
 2. 玄立山「妙髙寺」
 
3.寺町通り区民集会所
 
4. 瑞泉山「高源院」
 
5. 霊照山「専光寺」
 
6. 本覚山「妙壽寺」

 
7. 春陽山「永隆寺」
 
8. 一心山「稱往院」
 
9. 天護山「妙祐寺」
 
10. 妙祐山「幸龍寺」
 11. 弥勒山「源生寺」
 12. 常徳山「玄照寺」
 13. 法立山「常福寺」
14. 散策マップ
15. アクセス

 

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一心山「稱往院」

「稱往院」(称往院)は、寺名を「極楽寺」といい、
「そば切り寺」とも言われるとあったので、ちょっとおもしろそう♪と、行ってみました。

「不許蕎麦」という細長い碑が建っていましたが、写真を撮らず…

 

本堂には確かに「極楽寺」と書いてありました。

 

稱往院(称往院)
・1
596年(慶長元年)、江戸湯島に創建。
・1657年(明暦3年)の明暦の大火で堂宇を焼失し、浅草柴崎村へと移る。
・称往院の旧末寺には良狭庵・道光庵の2寺院があったが、道光庵は1873年(明治6年)に称往院と合併。
(良狭庵(良狭院)は台東区西浅草3-5-5に現存)
・称往院は関東大震災罹災後の1927年(昭和2年)に烏山の現在地に移転

※wikipediaより引用

 

浅草にあった頃、寺院内の「道光庵」庵主(信州出身)が
最初は自分達が食べるために作っていた蕎麦を、来訪者にもふるまうようになったら
たちまち評判となり、檀家以外の人達も来訪し、「そばきり寺」として有名に
なってしまったそうです。
(本業の蕎麦屋を抜いて1位になったそうな)へぇ~oヾ( ̄o ̄)

本業より忙しくなってしまい、修行の妨げになると
和尚が「不許蕎麦」の碑を建て、蕎麦打ちを禁じたとか。

 

今でもお蕎麦屋さんに「○○庵」というのが多いのは、
この「道光庵」が由来だとか? へぇ~oヾ( ̄o ̄)

 

本業の蕎麦屋を抜いて1位にまでなり、
あやかろうと「○○庵」とする店が多いという、この庵主の蕎麦、
どれだけ美味しかったのか、食べてみたい気もしますわ~!(天ぷら付けてね♪)

 

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天護山「妙祐寺」

築地本願寺と同じ「インド様式」だというので行ってみました。

お堂の扉にあるのは「蟹梅の紋」だそうです。

妙祐寺が烏山へ移転する前、廃寺だったこの寺院を復元した了頓法師が、
将軍徳川吉宗に書道を教えていたこともあり、お寺には吉宗の墨絵なども残されているそうです。

妙祐寺
・1286年(弘安9年)創建時は一遍建立による時宗の寺院で、天護山円証寺と称した。
・大永年間(1521年-1527年)兵火により廃絶
・1625年(寛永2年)に浄土真宗の僧了頓が渋谷の地で阿弥陀仏像を発見し、
これを本尊として満歳山学恩寺として再興。
・1677年(延宝5年)、幕府への願いにより寺号を妙祐寺と改め、同時期に山号も天護山に復した。
・1937年(昭和12年)に地下鉄銀座線の工事により墓地の一部を烏山に移転
・1945年(昭和20年)5月25日に空襲の被害を受けて堂宇を焼失し、
1948年(昭和23年)とその翌年にかけて現在地に移転

※wikipediaより引用

 

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妙祐山「幸龍寺」

「君が代」に出てくる「さざれ石」があるというので行ってみました。

そもそも「さざれ石」って何?(え?そこから?)

「小さい石、細かい石」のことで、「君が代」の中では、
「小石が巌(いわお)となり、さらにその上に苔が生えるまで」の過程が、
非常に長い歳月」を表す比喩表現とされているようです。

後ろにも写っていますが、しだれ桜がけっこうあり、
桜の季節に行くと、よりキレイだったでしょうね。

今年はあまりにも桜の時季が早く、行けず。。

実際の君が代の「さざれ石」の由来となった石は
岐阜県揖斐川町春日にあるそうです。

 

幸龍寺
・創建は天正年間(1573年-1593年)で当初は浜松にあった。
・後に駿府に移った後、1591年(天正19年)に江戸湯島に移築されて徳川家の尊崇が厚かったと伝わる。
・関東大震災罹災後の1927年(昭和2年)に烏山への移転を開始し、1940年(昭和15年)に移転を終了

・墓域には『江戸名所図会』の挿絵を担当したことで知られる長谷川雪旦とその子、雪堤などの墓がある

昭和2年から昭和15年まで13年もかけて移転したんですねぇ。すごい!

 

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弥勒山「源正寺」

江戸の名工藤原正次作の天水桶は地域・風景資産にも選ばれた釜六の「天水桶」

これを見てみようと行ってみました。

ここまで読んでいただいてお気づきと思いますが、も~完全に
歴史や寺院への興味ではなく、明らかに珍しい「物」に対する興味だけだという(笑)

そういう興味も大事大事♪←何でも都合のいいように考える

源正寺
・創建は1277年(建治3年)というが当時の所在地は不明とされる。
・1662年(寛文2年)、江戸築地に移転。
・関東大震災罹災後に築地の旧地に仮堂を建立したが、区画整理の対象となり、
1932年(昭和7年)に烏山に移転

 

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常徳山「玄照寺」

しだれ桜がキレイとあったので行ってみました。

最初に書いたように、タブレット撮影のため、綺麗に撮れませんでしたが、
奥の木がしだれ桜で、ココも桜の時季に行ったらまた違った印象でしょうね。

ただ、正直、他の寺院の庭がキレイに整備されていた中、ココは今一つ
ちょっと散らかっている感が…。

 

・慶長19年(1614年)、東京の白金三光町に開かれた。
・関東大震災後の区画整理のため、昭和2年(1927年)、白金三光町より移転。

 

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法立山「常福寺」

タヌキの置き物があるというので行ってみました。←またまた寺ではなく、「物」への興味

ただ、この時は既に17時を過ぎてしまい、最後のココは閉まっていました。
一応その時、外から撮影はしましたが…。

今年、「西沢つつじ園」に行った時、リベンジとばかり、
まずココに寄って撮影してきました(笑)

松葉通りの方にあり、閑静な場所にあった他の寺院とは違って、
周りがマンションとか、ちょっと賑やかな中の、小さな一画にあります。

タヌキの置き物がなかったら、おそらくスルーしていたかもしれません。

「福徳円満のタヌキ寺」として親しまれているようです。

ドーンと立つタヌキの置き物の下に「八相狸の由来」が書いてあります。

タヌキの置き物(信楽が有名ですが)は「八相縁起」と言って、
笠から尾まで八つのご利益があり、縁起が良いものとされているようです。

何か、ふくよかなタヌキを見ているだけで、笑顔になって福がきそうな気が…(笑)

その他色々なタヌキの置き物があります。

約200のタヌキの置き物やぬいぐるみがあるそうです。

おまわりさん、ゴルフクラブ、サッカーボール、マイクを持ったタヌキ、
俵を担いだタヌキ、舞子はん?のタヌキなど色々なタヌキがいます(笑)

何のタヌキか判明できないものもあったので、
じっくり見て「このタヌキは何をやってる?」と当ててみるのも楽しいかもしれません。

常福寺
・永正8(1511)年8月、浄徳院日立上人により浅草新鳥越に創建
その後、吉野町(現在の台東区今戸)に移転
・大正12年9月の関東大震災により、寺宝等ことごとく全焼
昭和3(1928)年3月、世田谷区北烏山に移転再建

 

以上、26寺院の内、11ヶ所周ってみました。

 

どのお寺も皆、元々は浅草など別の地にあったものが関東大震災などで
消失したりして、その後世田谷区北烏山のこの地に移転してきたものばかり。

なぜ、都内といえど、この烏山の地が選ばれたのかは調べていませんが(笑)、
とにかく歴史あるお寺ばかりがこの一画に集まっています。

この時は、15:30頃から周ったのに、1時間半くらいで半分近く周れたので、
寺院と寺院の間隔も密集しているので、桜や新緑の季節、また紅葉の季節には
良い散策コースの1つです。

御朱印巡りをしてもいいし、歴史を感じてもいいし、
機会があったら、みなさんも是非、散策してみてください♪

 

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散策マップ

世田谷区のホームページに、
区民集会所で「烏山寺町 ぶらり散策マップ を配布している」とありました。

詳しくはこちら ⇒ 「烏山寺町 ぶらり散策マップ」
(ダウンロードもできます。)

 

しかし、寺町巡りをした日に実際に区民集会所へ行って散策マップのことを聞いたら、
「以前はあったような…」と曖昧な返事をされ、結局「散策マップはない」と言われ、
後日、問い合わせた上で「烏山支所」でもらったという経緯があります。

念のため、事前に問い合わせた方がよさそうです。
(「烏山支所」は甲州街道からちょっと入った所にあるので、バスに乗る前に)

また、part1でも書きましたが、「寺町ドットコム」には、
大久保石材店でも散歩・散策に便利な 寺院案内図を配布していると書いてありました。

 

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アクセス

バスの場合、千歳烏山駅前にはバス停はなく、北口からちょっと歩いた甲州街道沿いにあります。

降りるバス停も
「寺院通1番」で下りて「妙髙寺」から北上するか、
「寺院通5番」で下りて「高源院」を見て戻る形にするか、によって決めると良いと思います。


「寺院通1番」~「寺院通5番」までがちょうど、「妙髙寺」
~「高源院」の間です。

 

 ⇒ 東京世田谷の小京都「烏山寺町」巡りpart1

 

所 在 地 東京都世田谷区北烏山2丁目~6丁目

交通機関

 

 

【電車】
京王線「千歳烏山駅」北口(南口)下車 徒歩約15分
【バス】
関東バス 「寺院通1番」または「寺院通5番」下車
・京王線「千歳烏山駅北口」から「久我山病院行き」の循環バス(烏01)
入 園 料 無料

問合わせ

 

烏山総合支所地域振興課
☎ 03-3326-1202
 

 

 

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