デビュー5周年の西城秀樹について3氏が語った内容…

デビュー5周年の西城秀樹について3氏が語った内容…

久々に西城秀樹関連のことを。

 

今年もあと数日で終わろうとしている。

5月16日に亡くなった西城秀樹。

半年以上が経ったけれど、「まだ半年」という気もする。

Youtubeなどで聴きすぎたせいか、何だかもう何年も前のような気さえする。

ココでも秀樹のことについて何度か書いた中で、
実家で発見したアルバム「5年の歩み」のことを書きました。
こちら

このアルバムの特典にあった「豪華写真集」。

秀樹の写真だけでなく、阿久悠・伊藤強・福田一郎の
3人が西城秀樹について書いていたので、今更ながら改めて読んでみた。

当然、当時も読んだはずだけど、すっかり忘れているので(笑)

 

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阿久悠「今年を”ヒデキ元年”と呼ぼう」

阿久悠氏は言うまでもなく著名な作詞家。
秀樹のシングル87曲の内11曲の歌詞を書いている。

・君よ抱かれて熱くなれ
・ジャガー
・若き獅子たち
・ラストシーン
・ブーメランストリート
・セクシーロックンローラー
・ボタンを外せ
・炎
・ブルースカイブルー
・ブーツをぬいで朝食を
・ブーメランストレート

1977年に発売されたこのアルバムで、
「今年を”ヒデキ元年”と呼ぼう」と題して書いている。

もし、秀樹が歌ではなく、野球や鳶職、漫画家など、
どの分野の職業に興味を示してそれらをやっていたとしても
歌手である今と同様の情熱で打ち込んでさえいれば、
花形、第一人者に必ずなったであろうイメージが沸くと言っている。

そして、そう思える秀樹が好きだし、
何でもできるけど、歌うことが1番好きな秀樹であってほしいと。

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確かに、秀樹は真面目だし、何事にも一生懸命。
歌だけでなく、脳梗塞のリハビリからもわかる。。
(怠け者、根性のない私にはできない)

真面目で一生懸命情熱を注げば花開くかというと
努力だけでは無理で、やはり天性の才能とセンスも大きい。

秀樹にはそれがあるんだろうなぁ。(ではなく、「あった」)
恵まれたスタイル、持って生まれた声の良さも大きい。

そしてその才能を最大に開花させる情熱も大きい。

歌うことが1番好きで、もう一度歌いたいがために
必死に頑張ったリハビリ。。

阿久悠氏が1977年に書いていたことは当たってる。
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※画像はクリックすると拡大するので、内容を読めると思います。

デビューからの3年間はモニター、ファンの立場で
刺激的な少年を見つめていたという阿久悠氏。

5年目に入ってすぐに作詞した、
「君よ抱かれて熱くなれ」
「ジャガー」
「若き獅子たち」
の第1期3部作で秀樹を変えた自信があるとも書いている。

少年→青年→男へと。

確かに昔の秀樹の声を聞くと歌い方も声も若い。青いというか…。

でも、阿久悠氏が作詞を手掛ける前の1975年後半
くらいから声も歌い方も一気に大人っぽくなった気がする。
「至上の愛」「白い教会」頃から…。
(「この愛のときめき」もそう思ったけど、その次の
「恋の暴走」は
デビューの頃に歌ったと思えるくらい
何か若い歌い方なので「後半から」ということで)

 

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伊藤強「ヒーローへの道を突き進む」

伊藤強氏は元新聞社の文化部記者で、
1970年から音楽評論家として活躍した人。

このアルバムの中で、
「ヒーローへの道を突き進む」と題して書いている。

 

大阪球場でのパフォーマンスのことを取り上げながら
かつて、西城秀樹のような表現方法を持った歌手はいないとまで言っている。

前例がないだけに、拒否反応を起こす人もいたかも
しれないけれど秀樹は道を切り拓きながら育っていると。

アイドルから抜け出そうと向かっている先が、
「ヒーロー」への道で、多くの歌手たちが挑戦さえも
しなかった道で、秀樹は先駆者だと独特な切り口で語っている。

 

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大阪球場でのゴンドラ、駆け回り、その他ペンライト(最初は懐中電灯)
スタンドマイクなど、確かに秀樹は色々な先駆者であることは間違いない。

ファンだった当時よりも亡くなった今になって、
Youtubeなどで過去映像を見れば見るほど、
アイドルではなく、まさに「スター」「ヒーロー」だったと思う。
(私の中でのスターは秀樹と沢田研二)

まさに「エンターテイナー西城秀樹」!

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※画像をクリックすると拡大

伊藤強氏はとにかく独特な切り口で書いているので、
ここで私が書くより、実際の文章を読んでみてください(笑)

 

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福田一郎「エンターテイナーとして無限の可能性を持つ」

 

音楽評論家の福田一郎氏は、特に洋楽の評論家として活躍。
日本レコード大賞の審査員を務めたりもしていた人。

この「5年の歩み」の中で、
「エンターテイナーとして無限の可能性を持つ」と題して書いている。

 

けっこう全体的に厳しいお言葉が多い気もするけれど(笑)

日本の芸能界を見渡してみて、エンターテイナーと
いうものを理解していると判断できる人気タレントは至って少ないと…。

エンターテイナーというのは、
「もてなす」「楽しませる」という動詞から来ていると
したうえで、福田氏は持論を展開している。

秀樹がエンターテイナーというものの在り方を
どのように理解しているか正確なところは知りえないと
しながらも、秀樹は優れたエンターテイナーとして
成長する、無限の可能性を持っていると判断できると言っている。
(この時点ではまだエンターテイナーだ!とは断言していません(笑))

秀樹は人気タレントの1人だとしながらも、難が無いわけではないとも(笑)

そりゃ完璧な人はいませんわ~

 

福田氏のメッセージから
その後秀樹が1977年に日生劇場でミュージカルをやったということを
思い出したけれど、タモリじゃないけど私もミュージカルは嫌いなので
正直興味なく、すっかり忘れていた(笑)

「わが青春の北壁」というミュージカル。。

福田氏は、
ミュージカルや映画出演もけっこうだが、まずレコード
歌手として大きなヒットを出して欲しい。
これが最大の願いと書いている。

それも、秀樹ファンだけではなく、アンチファン、
秀樹に関心を抱いていない大人の人達も、誰もが知っていて
誰もが歌えるような素晴らしいヒット曲をと言っていたけれど、

出しましたよ!福田さん!

「YOUNG MAN」を…

※画像はクリックすると拡大

福田氏のコメントも実際の文章をどうぞ(笑)

 

最後に…

1977年に、西城秀樹について語った3氏。

まるでその後の秀樹を観ていたかのようで、
40年以上も前に語ったとは思えない。

というより、3氏の期待に応えるかのように、
その後も進化を続け、更に3年後には「YOUNG MAN」で
振り付け、歌とで一気に頂点に!

日本レコード大賞は受賞できなかったけれど、
日本歌謡大賞など数多くの賞を受賞している。

その後、曲に恵まれなかったのか、
私自身が興味持てないジャンルの曲だったからか、
1985年頃を最後にだんだんフェードアウトしていってしまった。。

亡くなって、昔の曲を聴き、秀樹ファンだった頃を思い出す復活組ですが…。

 

31日のNHK紅白歌合戦は何らかの形で追悼コーナーを
設けてくれると信じているけれど、どんな形になるのか。。

出演者みんなで秀樹の曲を歌うのではなく、
秀樹の過去映像をメドレーで流してくれるだけでいいんだけどなぁ。。

秀樹が亡くなった2018年の、平成最後のNHK紅白歌合戦は、
若かりし頃の姿の秀樹をいくつか是非登場させて欲しい!